バラモス (Baramos)

バラモス (Baramos)
ネクロゴンドに居城を構え、世界を支配しようとする魔王。プテラノドンのような顔をしている。ゲーム中盤(表の世界攻略時)までは諸悪の根源として扱われているが、実際には大魔王であるゾーマの配下の1人にすぎない。しかしゾーマの存在はバラモスを倒すまで表には出ないうえ、世界のさまざまな場所で恐怖の対象となっており、また魔王の名に恥じず表の世界に登場するモンスターとしては圧倒的な戦闘力を誇る敵として君臨する。後述の「バラモスブロス」「バラモスゾンビ」は、名称から前者は兄弟、後者は本人がゾンビ化したものと思われるが、リメイク版のみ現れる雑魚モンスターの「バラモスエビル」との関係は不明。
後に『モンスターズ』シリーズや『モンスターバトルロード』、『ドラゴンクエストIX』などで再登場している。
テレビアニメ『ドラゴンクエスト』(アベル伝説)に同名のキャラクターが登場するが、容姿や設定が大きく異なっている。余談だが、鳥山明の漫画『ドラゴンボール』にはバラモスに風貌が似ている『ピアノ』というキャラクターがいる。
やまたのおろち (Orochi)
ジパングの洞窟に潜む竜の魔物。『日本書紀』と『古事記』に登場する「ヤマタノオロチ」にちなんで「やまた」と名が付くが、モンスターデザインでは首は5つであり、怪獣映画のキングギドラに似たデザインである(ただし翼はない)。ヒミコを殺した(リメイク版では井戸のすごろく場に幽閉)後に彼女に成りすまし、若い女性をいけにえに差し出すよう強要してジパングの住民を苦しめている。炎を吐いたり複数回の攻撃を仕掛ける。GBC版では隠しダンジョンで雑魚モンスターとして出現するほか、「あやしいかげ」として出現することもある。
ボストロール (Boss Troll)
暴君へと豹変したサマンオサ王の真の姿。本物のサマンオサ王を地下牢に幽閉し、変化の杖で国王に成りすました。城に来た者を地下牢に幽閉したり、異を唱えた国民を処刑するなど暴虐の限りを尽くす。高い攻撃力に加え、リメイク版では「ルカナン」と2回攻撃が追加されて全員の守備力を下げようとする。また、痛恨の一撃を繰り出す確率が高め。SFC版ではサマンオサ城のみの登場だが、GBC版ではクリア後の隠しダンジョンにて再登場する。その後のシリーズでは『ドラゴンクエストVI』『VIII』などで雑魚モンスターとして登場し、作品によっては主人公の仲間に加わったり、物語に関わっていたりと何かと出番が多い。また、このサマンオサおよび上記のジパングの「モンスターが王様やその他の権力者(大臣など)と入れ替わって暴虐・悪政を行う」というシナリオは、のちの「アニメ版ドラゴンクエスト」や『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』でも取り入れられている。
キングヒドラ (King Hydra)
ゾーマの手下の一体である魔物で、グラフィックデータは上述のやまたのおろちの色違い。ゾーマの城でオルテガと戦い、息子(娘)の目の前で彼の命を奪う[注 13]。リメイク版では隠しダンジョンで雑魚モンスターとして出現する。
バラモスブロス(Baramos Bomos)
ゾーマの手下の魔物の一角で、名前の通りバラモスの色違いである同属モンスター。「ブロス」は「Brothers」の短縮形「Bros.」と思われ、容姿からもバラモスの双子の兄弟か、それに近い存在と推測できる。
『バトルロードIIレジェンド』の「レジェンドクエスト」ではバラモスブロス「魔王」の肩書きを与えられており、バラモスゾンビとドラゴンを従えて立ちはだかる。
バラモスゾンビ(Baramos Gonus)
ゾーマの手下の魔物の一角。設定上ではその名の通りバラモスがゾンビになって白骨化して復活したもので、リメイク版で追加されたバラモスの死に際の言葉からもそれが窺える。しかし、バラモスゾンビのグラフィックデータは雑魚モンスターのスカルゴン、ドラゴンゾンビの単なる色違いとなっている。(バラモスは頭部の角が1本なのに対し、この種族は2本ある。バラモスには無い羽根が生えている等)後に本作の遠くない時代が舞台の漫画『ドラゴンクエスト ロトの紋章』にも登場し、その時の姿は生前のバラモスの骨格を忠実に再現したデザインとなっている。
ゾーマ (Zoma)
アレフガルドを闇に閉ざした大魔王であり、本作の最終ボスである。「全てを滅ぼす者」を自称し、人々の死や苦しみを無上の喜びとする。ゲーム中盤まではバラモスが最終ボスであるものとして話が展開するが、後にバラモスもゾーマの手下の1人にすぎないことが明らかになる。強大な闇の力のバリア「闇の衣」を身にまとっており、ある特定のアイテムの力によりはぎ取ることができる。闇の衣をはぎ取らなくとも倒すことは可能だが、闇の衣をまとった状態のゾーマははぎ取られた後とでは比較にならないほどの強さを誇る。闇の衣をはぎ取ると薬草やHP回復系呪文によってダメージを受けるという特殊な性質を持つ[注 14]。後の作品のボスなどが使うこととなる「いてつく波動」をシリーズで初めて使用したキャラクターである(リメイク版以降は兜にある目玉から放つ)。リメイク版では、闇の衣をはぎ取る前とはぎ取った後のカラーパターンがFC版とは逆になっている。(FC版:フルカラーから青基調に、リメイク版:青基調からフルカラーに)。
バラモスや他の魔王と同様に、後に『モンスターズ』シリーズや『モンスターバトルロード』、『IX』などで再登場している。また、原作およびイラスト、設定画では4本指なのだが、『IX』など近年の作品で再登場の際は5本指となっている。なお、『IX』のモンスター図鑑では「愚かな僕に嫌気がさして地上を捨てた」と書かれているが、原作でバラモス(ゾンビ)、キングヒドラバラモスブロスを無能扱いしていた様子は無い。
鳥山明のイラストではゾーマの変身後とされるモンスターが描かれていた[13]のだが、ゲームに登場することはなかった。後の作品では、『モンスターズ2』では「アスラゾーマ(顔が三つ目になり、巨大な鎌を携えている。阿修羅を髣髴とさせる名前だが、外見は特に似ていない)」、『バトルロードII』では「真ゾーマ(外見はほぼ同じだが目が赤く輝いており、能力が格段に向上している)」というオリジナルの強化形態が登場している。なお、原作のゾーマは“凍てつく”波動や最強の氷呪文マヒャドなど冷気攻撃を得意とするのだが、『バトルロード』では火炎攻撃も得意としている。

【M−1グランプリ2009】「お前らはM−1を獲れない」

M−1グランプリ2009】「お前らはM−1を獲れない」
笑い飯について、かねてから辛口評価を続けてきた大会委員長の島田紳助(53)。決勝1回戦で「鳥人(とりじん)」の得点が発表される直前には、うれしそうに顔をほころばせていた。読み上げられた得点は100点満点。100点という数字が審査員から出されたのは、9年間のM−1史上で初めての快挙だった。

 得点を見た哲夫(34)は、その瞬間から感激で目をうるませていた。西田幸治(35)は「優勝」の2文字が頭をよぎったことだろう。1回戦を合計668点で1位通過。誰もが笑い飯の優勝を疑わなかった。

 笑い飯は8年連続8回目の決勝進出。だが、最終決戦の舞台は05年を最後に途絶えていた。M―1挑戦資格はコンビ結成から10年以内。00年7月結成の2人にはタイムリミットが迫っていた。笑い飯は09年を“M−1ラストイヤー”と称し、たびたび今回にかける意気込みを語っていた。

 ところが今年のM−1エントリー用紙には「結成10年以内(1999年5月以降結成のコンビ)」と記載されていた。この規定であれば、来年参加できるのは「2000年5月以降結成のコンビ」。これで、笑い飯にも10年への道が開けた。それでも「09年がラストイヤー」という気持ちは変わらなかった。

 2人が優勝決定戦に選んだネタは「チンポジ」。紳助からは「笑い飯は(ネタを)もう1本持っていない」と指摘されたが、その通りの結果になった。審査員が選んだ優勝者の名前が次々と読み上げられるのを、2人はぼう然と見送っていた。笑い飯を選んだ審査員は1人としていなかった。

 決定戦を終え、紳助からは「1本目“チンポジ”だったら決定戦に進んでいない」「あいつらは来年(10年)も勝てない」と“愛のムチ”を振るわれたが、笑い飯は早くも“真のラストイヤー”に照準を定めたようだ。

 03年の「奈良県立歴史民族博物館」、今年の「鳥人」は文句なく“M−1伝説”の域に達している。もしかしたら決定戦で「チンポジ」を披露したことも、その1つかもしれない。単独ライブが少ない2人にとっては、決勝で勝てるネタを2本そろえることが課題。来年10度目のM−1挑戦で2人はその“伝説”をハッピーエンドに導くことができるのだろうか。

イー・アル・カンフー

イー・アル・カンフー
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イー・アル・カンフー ジャンル アクションゲーム(対戦型格闘ゲーム
対応機種 アーケード[AC]
ファミリーコンピュータ[FC]
MSX
プレイステーション2[PS2]
Xbox 360[360]
Wii(バーチャルコンソール)
開発元 コナミ
M2[PS2]
コナミデジタルエンタテインメント[360]
発売元 コナミ
コナミデジタルエンタテインメント[360]
人数 1-2人(交互)
メディア [FC]192Kbitカセット
[MSX]カセット
[PS2]CD-ROM1枚
[360]ダウンロード販売
発売日 [AC]1985年
[FC]1985年4月22日
[MSX]1985年
[PS2]2005年10月27日
[360]2007年7月18日
[Wii]2008年1月8日

イー・アル・カンフー』(Yie Ar Kung-Fu)は、1985年に当時のコナミ(2006年3月31日の持株会社化に伴い、版権はコナミデジタルエンタテイメントに移行)から発売されたアーケードゲームである。ジャンルとしては対戦型格闘ゲーム(アクションゲーム)に属する。

ファミコン版やMSX版も発売されたが、アーケード版とはBGMやステージが全く異なり、11人いた敵キャラクターも5人に削減の上全員入れ替えられており、ほぼ別のゲームとなっている。

目次 [非表示]
1 概説
2 登場する敵
2.1 アーケード版
2.2 ファミコン版・MSX版の敵
2.3 ゲームボーイアドバンス版での追加キャラクター
3 移植
3.1 アーケード版準拠
3.2 ファミコンMSX
4 外部リンク

概説 [編集]
プレイヤーは主人公(アーケード版では「ウーロン(Oolong)」、ファミコン版・MSX版では「リー(Lee)」)を操って、さまざまな武器や体術を使う格闘家(チャーハン一族)と戦っていく。敵はアーケード版では11人、ファミコン版・MSX版では5人用意されていて、間合いや攻撃法が全く異なるため、初期のゲームにしてはかなり考えられている。

前年に発売された、任天堂ファミコン用ソフト『アーバンチャンピオン』、データイーストアーケードゲーム『空手道』と並ぶ、対戦型格闘ゲームの草分けとして多くのユーザに支持され、格闘ゲームの原点とも言われる。

レバーを入れる方向(8方向)とパンチ、蹴りボタンの組み合わせによって16種類の技を使い分けるシステムになっているが、アーケード版ではレバーがどの方向に入っているのか判り易くするために、主人公キャラクターの下に矢印が表示されていた。

相手に勝つと残った体力の分だけボーナスが入り、さらにノーダメージで勝つとパーフェクトボーナスとして通算対戦相手数×10000の点数が加算される(但し、100000点まで)。

MSXでは、続編として『イーガー皇帝の逆襲』が発売されている。また、アーケードでは本作の番外編とも言える『ショーリンズロード(少林寺への道)』が出ている(いずれも1985年)。

音楽はアルバイト時代のMIKI-CHANG(東野美紀)が作曲しており、後のコナミ作品でも『セクシーパロディウス』の竜宮ステージBGMや『KEYBOARDMANIA 3rdMIX』の「EE-AL-K」などアレンジされて使用されている。

登場する敵 [編集]
登場順に解説する。

アーケード版 [編集]
Buchu(ブチュ)
最初の敵となる色黒の大男で、飛び跳ねながらフライングボディアタックを仕掛けてくる。大きいが動きは遅く、武器は使ってこない。
Star(スター)
ピンクの装束をまとったシニヨン頭の少女で、手裏剣を使ってウーロンの足止めをしつつ、素早いパンチやキックで攻撃してくる。
Nuncha(ヌンチャ)
黄色い道着を着たヌンチャク使いで、ヌンチャクで動きを封じてくる。
Pole(ポール)
背の低い棒術使いで、彼の使う棒はかつてウーロンが使っていたものである。さらに、この棒を利用して助走を付けて高く飛び跳ねる動きもしてくる。
Feedle(フィードル)
分身の術を使い左右から次々と現れるが、攻撃が一発当たるとその分身を撃退できる。よほど油断しない限り順番に倒すだけでパーフェクト勝ちになるため、「ボーナスステージ」の通称で呼ばれる。
Chain(チェイン)
篭手を付けてウーロンを待ち構えている。鉤付きの鎖で攻撃してくる大男。
Club(クラブ)
棍棒使いの大男で、右腕の盾を使ってウーロンの攻撃を防いでくる。
Fan(ファン)
チャイナドレスを身に付けた女性で、スターよりも女性的な風貌。羽毛のように落下する、鉄製の扇を手裏剣のように投げてくるが、めったに攻撃はしてこない。
Sword(ソード)
中国刀使いで、空中を舞いながらウーロンを急襲しようと待ち構えている。
Tonfun(トンフン)
名目上のボスで、1対のトンファーと素早い動きの拳法の使い手で、倒すためには間合いを計りつつ一瞬の隙を狙う必要がある。
Blues(ブルース)
ウーロンが拳法着を脱いだような格好をしており、勝つにはブルースの弱点を突く必要がある。なお海外で発売されたBBC Micro版ではブルースは登場せず、代わりにフィードルとの再戦となっていた。
ブルースを倒すと2周目が始まり、再びブチュとの対戦になる。

ファミコン版・MSX版の敵 [編集]
Wang(ワン)
棒術使いだが、ポールとは異なり助走を付けて高跳びはしてこない。
Tao(タオ)
スターと同じような動きで火の玉を吹いてくる。
Chen(チン)
チェーンとほぼ同じ動きをしてくる。ワンショルダーの服を着て、ヒゲを生やしている。
Lang(ラン)
スターとほぼ同じ外見と動きだが、手裏剣攻撃などの動作がより素早くなっている。
Mu(ウー) 
肌の色が白くなっている(ファミコン版のみ)以外はブチュと同じような動きをしてくる。ただしウーは垂直に跳び上がることもできるため、攻撃パターンが変わっている。
チンを倒した後は、リーを目掛けて飛んでくる物体を破壊するという内容の得点を稼げるボーナスラウンドが挿入される。

ゲームボーイアドバンス版での追加キャラクター [編集]
ゲームボーイアドバンス向けソフト『コナミアーケードゲームコレクション』にも本作(アーケード版)は収録されており、隠しキャラクターとして2人が追加されている(2人同時プレイモードでも使用可能)。

Bishoo(ビショウ)
白い服を着た女性で、短剣を使って攻撃する。
Clayman(クレイマン
生きている像で、ソードよりもさらに大きい剣を使って攻撃する。
移植 [編集]
アーケード版準拠 [編集]
コナミ80'sアーケードギャラリー』(1999年5月13日、プレイステーション)収録
コナミアーケードゲームコレクション』(2002年5月2日、ゲームボーイアドバンス)収録
オレたちゲーセン族 イー・アル・カンフー』(2005年10月27日、プレイステーション2
コナミ アーケード コレクション』(2007年3月15日、ニンテンドーDS)収録
『Yie Ar Kung-Fu』(2007年7月18日、Xbox 360(Xbox Live Arcade))
携帯電話アプリゲーム(NTTドコモauソフトバンクモバイルWILLCOM対応)
ファミコンMSX版 [編集]
イー・アル・カンフー』(1985年4月22日、ファミリーコンピュータ
2008年1月8日よりWiiバーチャルコンソールで配信開始(要500Wiiポイント)。
イー・アル・カンフー』(1985年、MSX
コナミアンティークスMSXコレクション ウルトラパック』(1998年7月23日、セガサターン)、『コナミアンティークスMSXコレクション Vol.1』(1997年11月20日プレイステーション/2006年11月22日、ゲームアーカイブスで配信開始)に収録。i-revoでも配信されている。
コナミGBコレクション VOL.3』(1998年2月19日、ゲームボーイ)に収録。

キュキュ!!!!

キュキュ!!!!

「あああああ!!!??」

「甘めえぞ、荒石ーーーー!!!!」


ザシュ!!!!

「よおーーーーっし、10本連続来た!!!」


ガシイイイ!!!

「ファウルだ、ファウル!!」

「るせーー」



湘北高校の“特訓”が始まってから、
練習後の体育館は、毎日のように異様な熱気に包まれていた。

特訓に関わっているスタメンの5人は勿論、控えメンバーも
各々トレーニングに余念はない。


特にこの2人。

佐々岡 「必ずユニフォームを奪い返す!」

石井 「1年生に負けたままでいられない!」



3年生たちがニコリ。

安田 「いい雰囲気だな、みんな」

潮崎 「ああ、全国に向けて充実してるぜ」

角田 「アイツらが伸びればもっとチームも強くなる」


そこに彩子登場。

「あら? 3人さんはメンバー当確のつもり? 笑顔で見てて大丈夫?」



「……!!???」


安田・潮崎・角田 「俺たちも…、当落線上……!?」

彩子 「さ〜ね。でも先生はいつも見てるわよ」



ザシュ!!!!

ザシュ!!!!


晴子 「すごい、野茂君!! シュート絶好調ね!」

野茂 「ウッス!!」

晴子 「この調子なら、また全国でも試合に出られるかもよ」

野茂 「ハイ!頑張ります!!」


安西、ニコリ。 「ふむ」


安田・潮崎 「…………!!!!」




バッシイイ!!!


天崎 「おおお!! ナイスリバン、与田!!」

与田 「よっし」

天崎 「桜木さんや荒石に何かあった時は、頼むぜマジで!」

与田 「ああ、任せろ!」


安西 「ふむ」


角田 「………!!!!」



彩子 「ね?」



ダッ!!!!

3年生トリオ、ダッシュ


安田・潮崎・角田 (1・2年に負けるわけには行かない!!!!)




キュ!!!

キュキュ!!!!

ダム!!!

ザシュ!!!!


響き渡るシューズの音、ボールの音、ネットの音。


具体的な特訓を課された主力選手。

12人の枠を巡るサバイバルを戦う控え選手。


湘北高校は、最高の状態でインターハイに臨もうとしていた。





……と、思われたが、そうはいかなかった。




彼らには、インターハイの舞台に立つ前に、大きな試練があったのだ。

赤木と木暮が危惧していた大きな試練が。


そして、

夏本番となった7月のある日。



そのXデーがついにやってきた。




湘北高校職員室前。



宮城 「ついにこの時がやってきたか」

桜木 「今年も崖っぷちだな、リョーちん」


ギン!!

宮城 「行くぞ、花道!」

ギン!!

桜木 「オウよ!!」



バシィ!! バシィ!!


2人に彩子のハリセン。

「なにカッコつけてんのよアンタたちは」


宮城 「いや…、戦いの前だから気合いを入れようかと…」

彩子 「ったく……。そういう時じゃないでしょ、今は」

(なんだか最近ハリセンの出番が多いわ……)


そう、湘北恒例の追試依頼。

赤点過多でインターハイに行くことができない男たちが頭を下げる、
あの見るも情けないイベントである。


安田 「今年はこの2人だけか」

(しかし、キャプテンが赤点って………)


桜木 「ぬ…? 俺たちだけ…?」

宮城 「マジかよ……。かっこ悪りい……」



そこに……


ユラ〜〜

うつろな目で、流川が現れた。


彩子 (ああ、やっぱり……)



宮城 「おお、流川……!!」


バシイイ!!!

彩子 「ホッとするなーーー!!」



さらに……


「あの〜〜」


宮城 「ん?」



天崎がやってきた。



桜木 「チョロ…!!?」

彩子 「ア、アンタ、まさか……」


天崎、舌を出してペコリ。

「スイマセン。やっちゃいました……」


安田 「あちゃ〜……」


天崎 「スイマセンっす。4つも赤点取っちゃうなんて恥ずかしい…」


桜木 「4つ……!!!?」

宮城 「たったの…!!?」


桜木・宮城 (コイツ……、できる!!!)


バシイイ!! バシイイ!!

彩子 「感心するなあーーー!!!」



安田 「4人か、それもみんなスタメンだなんて……」

(結局、追試の人数は去年と一緒ってことか…)

彩子 「まあ、しょうがないわね。とにかく頑張るしか…」


呆れ顔で、安田が声をかける。

「じゃあ行くよ、みんな。ついて来て」


宮城 「お前ら一応頭下げろよ」

桜木 「イチオーな」

流川 「イチオー」

天崎 「頭下げりゃいいんスよね?」


彩子、ため息。

「ふぅ〜、やれやれ…。じゃ、やっちゃんお願いね」

安田 「ああ…」



そこに


「お、いたいた」


宮城 「ん……?」


荒石登場。

「ここか、追試志願者の集合場所は?」


安田 「あ、荒石……」

彩子 「まさか、アンタも…?」

(まあ、ある程度想定内だけど……)


桜木 「ヒッヒッヒ。いかにも赤点とりそうな顔だからな、テメーも」

天崎 (顔はカンケーないでしょ…)


荒石 「ちげーよ、バ〜カ」


宮城 「あ…?」


荒石、ニヤリ。

「オレは誰が赤点なのかってのと、そいつらがペコペコ頭を下げるところを
見に来ただけだ。オレには追試なんて必要ねーっつうの」


宮城 「な……!!」

桜木 「なにィ……!!!?」


天崎 「ほ、本当? それ…?」


コンコン。

荒石、壁の掲示板を叩く。

「見てみな」


そこには期末テスト得点上位者の名前が貼り出されている。



「……………!!!!???」



荒石淳也、学年7位。



「な、7位………!!??」

一同、目を見開く。


宮城 「マ……」

天崎 「マジ……!!?」


彩子 (私より好成績………)



荒石、ニヤリ。

「必要なら勉強教えてやるぜ、リョーさんにも花道にも。
平面のディフェンスを覚えるよりはカンタンだろーからな。
カッカッカ!!」


宮城 (コイツ……!!!!)

桜木 (性格最悪……!!!!)




湘北高校、インターハイへの道・最終章。

いよいよ始まる!!!



続く

芸能界の雑学

芸能界の雑学




    ここでは芸能界に関する雑学を紹介します。
   憧れの芸能界。皆さんも子供のころや、学生時代に「歌手になりたい!」とか
   「俳優になりたい!」と一度は芸能界に興味を持ったことがあるのでは?
   私もそのクチでしたが、鏡を見てあきらめました。
   そんな芸能界に関する雑学です。






    芸能界はどうしていつも、おはようございます?


   夕方であろうが、深夜であろうが、芸能界の人たちは関係者に会うたびに
   「おはようございます」という。
   この奇妙な習慣は、江戸時代の歌舞伎のしきたりからきている。
   現在の歌舞伎は、昼夜2回興行が普通だが、江戸時代には照明器具が
   なかったため、日没前に終演していた。そして今とは違い、長時間の作品が
   多かったため、いつも関係者が顔を合わせるのは「おはようございます」の
   朝や午前中だった。そのときの風習からきているのである。




    ミリオンセラーになるまで3年もかかった曲は?


   演歌歌手、千昌夫のヒット曲「北国の春」は3年がかりで100万枚売れた。
   3年もかけてミリオンセラーになった曲はこれがはじめてである。
   「北国の春」が「オリコン」のヒットチャート100位以内に初登場したのは、
   昭和52年(1977)4月25日で99位だった。
   それから足かけ3年、3度も100位圏外に落ちながら、91週後についに
   100万枚売り上げたのだ。最終的なヒットチャートは6位だった。




    テレビ番組がハンパな時間に始まるのは?


   19時57分とか20時59分とか、中途ハンパな時間に始まるテレビ番組。
   これはフライングスタートと呼ばれ、日本テレビが始めた。
   ゴールデンタイム枠の視聴率でフジテレビに遅れをとっていた日本テレビは、
   プロデューサーの発案で他局より1分早い、59分スタートを始めた。
   他局がCMの最中なのに、日本テレビだけが本編が始まっている状況が当たり、
   視聴率が3パーセントも上がったのだ。これを他局も真似したのだ。




    女優やアイドルは売れると脱がなくなる?


   芸能界に入って売り出し中の頃は、水着姿をグラビアで披露したり、映画やドラマで
   ヌードになったりするのに、売れると脱がなくなったりする。
   これは、CMがらみの事情によるところが大きいらしい。
   CMのスポンサーが、起用しているタレントがヌードになったりすると、
   CMで流す商品のイメージダウンにつながると、契約上露出を禁止したりするからである。




    テレビの視聴率はどうやって調べる?


   現在、視聴率を調査しているのは、ビデオ・リサーチとニールセン・ジャパンの2社。
   ビデオ・リサーチは、全国から約4500世帯を無造作に選び、
   特種機械をテレビに設置してもらっている。この装置は、なんの番組を 見ているのか、
   どの番組に替えたのかが1分単位でわかってしまう。
   その記録が電話線で自動的に送られ、コンピューターが自動計算する仕組みに
   なっている。これが視聴率として雑誌や新聞などで発表されるのだ。




    特別出演と友情出演って?


   決まった定義はないが、テレビ局や映画会社では、
   「特別出演」は製作側から特別に御願いして出演してもらう場合のことで、
   「友情出演」は出演している俳優が、友人の俳優に頼んで出演してもらう場合
   としてクレッジットで流している。




    映画はどれも「大ヒット上映中」?


   この宣伝文句で実際にヒットしている映画はごくわずかである。
   大ヒットの基準がないので、これはいわば宣伝コピーの雛形のようなものだ。
   ちなみに、初日だけ関係者や無料招待客を一つの映画館に集めて
   「観客動員新記録達成!」と行う場合もある。

ゴルベーザ四天王

ゴルベーザ四天王
ゴルベーザ直属の部下である4体のモンスター。名前の由来はダンテ・アリギエーリの『神曲』地獄篇に登場する地獄の鬼ども(マレブランケ)から。一度はセシル達の手により倒されるも、ゼムスの手により復活する。
彼らのパロディキャラとして『半熟英雄 ああ 世界よ半熟なれ…!!』の完熟四季王がいる。

土のスカルミリョーネ (Scarmiglione of Earth)
自称「死の水先案内人」。暗黒騎士であったセシルが苦手とするアンデッド軍団を率いている為、セシル達への刺客に適任として派遣された。当初は魔法使いのようなフードを被って登場するが、倒されてもゾンビと化して蘇る。自らを「死してなお恐ろしいスカルミリョーネ」と称している。口から息が漏れているのか「フシュルルル」という不気味な声を発する。

水のカイナッツォ (Cagnazzo of Water)
亀のような甲羅を背負う怪物。水を操ってバリアを張ったり、津波を起こしたりといった攻撃を得意とする。バロン王を殺害してすり替わり、赤い翼を使ってクリスタルを集めさせていた。さらにスカルミリョーネを「四天王になれたのが不思議なくらい弱っちいヤツ」と言うなど、その悪辣さは四天王の中でも際立っている。笑い声は「クカカカカ」。

風のバルバリシア (Barbariccia of Wind)
四天王の紅一点。身長の3倍はあるという髪の毛によって風を操り、竜巻のバリアを張る事ができる。竜巻はカインのジャンプで解除させる事が可能。物語中盤に出現する空中要塞「ゾットの塔」の最上階にて戦う事になる。笑い声は「ほっほっほほほ」。

火のルビカンテ (Rubicante of Fire)
炎を操り、火燕流などの攻撃を得意とする。弱点の氷系すら防ぐ猛火のマントを持つ最強の四天王。誇り高く、正々堂々と戦う事を信条とする武人肌の男であり、戦闘に入る際には先にHPとMPを回復してくれる。『ファミコン通信』にて「元はミシディアの黒魔道士で、パラディンを目指して試練の山に挑戦して敗れたところをゴルベーザに拾われてルゲイエの改造によって新たな力を与えられた」とする過去の物語が紹介されているが、スクウェア側からの正式な発表はない。

富士通はフジヤマではない

富士通はフジヤマではない

社名の由来なるほど辞典で富士通の語源を、たぶん世界一シンプルに「古河電工(ふ)ジーメンス社(じ)通信機(つう)」と書いたところ、いきなりレスの嵐になってしまった。多くの意見は「富士通富士電機の通信機器事業部独立からきているんじゃないでしょうか?」みたいなもの。たしかに、それが正解です。でも、それだけでは、ちょっと口が寂しくないですか。語源探偵団で紹介するにはダシやスパイスがたりないのだ。

突然ですがここで質問。「富士通のフジは富士山のフジですか?」おそらく99%の人は「YES」と答えるだろう。オフィシャルにもそうゆう意味をもたせているかも知れない。ところがこれ、意味は正しいが、歴史的には正しくない、が正解なのだ。

富士通ミニ沿革】

1923年 富士電機製造(株)創業

1935年 同社の通信機器関連部門を分離し富士通信機製造(株)を創設

1967年 富士通(株)に改称

これだけでは日本電報通信社が電通になった程度の変化でしかない。問題は「富士電機のフジ」なのだ。繰り返すけれども、これは富士山が語源ではない。こんな資料があるので引用してみる。

「ドイツから来日したジーメンスの技師ケスラーは古河電工創始者古河市兵 衛と懇意になり、両社が合弁で大正12年富士電機を設立した。富士の名は古河とジーメンスの頭文字から付けられた」(藤村哲夫 わが国の電気事業と電力技術)

ジーメンスシーメンスSIEMENS)社のこと。今はこちらの読みが一般的。

☆参考画像「富士通ロゴマークの変遷」(CI Laboさん)古河(f)シーメンス(S)らしき?「fs」マークがある。

ワールドワイドなスパイスを和風に仕上げた逸品

富士通のお父さん富士電機は、なんとVWに次ぐドイツの大企業ジーメンスシーメンス)社と古河財閥サラブレッドだったのだ。つまり、フジ=ふ(古河電工)じ(ジーメンス)の定理。え?何かに似てない?スルドイ突っ込みありがとうございます。富士通日商岩井の合弁事業、かのniftyのことでしょ?NI(日商岩井)F(富士通)tyが不明※・・・話を戻します。で、この富士電機の創業って、初の日独提携事業だったんだそうです。このようなワールドワイドな素材を、しかもジャパネスクな「フジヤマ」でまとめたあたり、富士山クラスの最高峰のネーミングだと、ワタシ、思うのです。とはいっても、たしかにこれは富士電機の話であり、富士通の由来としては直接的ではないんですが、このような香辛料を味わってみるのも、たまにはいいでしょう。

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ニフティ情報

 ◎NIFTY はもともと BBS の名前で、 英単語そのものです。【(口語)しゃれた、粋な、立派な】みたいな訳が辞書に出ていました。
 つまり、NIFTYを経営している会社名がNIFで、それは、お書きの通りの語源と聞きました。で、そこがやっている BBS を NIFTY と…。もしかすると、今は社名自体が NIFTY ?でも、そうだとしても、最初は「ニフ株式会社」でしたよ。
 もうちょっと…。 NIFTY は正式には NIFTY-Serve で、それは、この BBS のノウハウだかをアメリカの CompuServe と契約(提携)して得てはじめたからのはず。ですから今でも NIFTY から CompuServe への gate があり、確か日本からは NIF に契約する形で CompuServe ID を取ったと思います(従って請求は NIF から来る)。
 その後、さらに富士通NIFTYを全額買い取って、持っていた InfoWeb と合体させ @NIFTY…に。その富士通は…上記の「富士山じゃない」に戻る、というわけです。(小川さんの情報)

◎私の記憶ではniftyの"ty"はタイムパス(tympass)というVAN業者の名前であったと思います(纐纈昭徳さんの情報)

ニフティ社員さんからの情報(Mさん:社の公式コメントではありません)

niftyの社名の変遷について誤解があるようなのでMailいたします。詳しくはhttp://www.nifty.com/corp/history1986-1991.htmでご確認ください。

さっそくHPを拝見しました(以下、化猫のコメント)。

1986年2月 株式会社エヌ・アイ・エフ(NIF)誕生
1986年3月 米国パソコン通信サービスCompuServeの国内販売開始
1986年9月 社名をエヌ・アイ・エフ株式会社に変更
1987年4月 NIFTY-Serveサービス開始
1989年4月 CompuServeからNIFTY-Serveへのゲートウェイを開始
1990年7月 NIFTY-ServeからCompuServeへのゲートウェイを開始
1991年4月 社名をニフティ株式会社に改称
1999年3月 富士通株式会社の100%子会社化
1999年11月 ニフティサーブ、InfoWeb 両サービスを統合し、新サービス@nifty(アット・ニフティ)を開始

とありました。どうでしょうか?整理できましたか。でもワタシ、気になったのは創業約半年で、社名を前(株)→後(株)に変更したこと。どんな理由からなんでしょうかねえ。ご存じの方、いませんか?

☆この件に関して上記のMさんから、早速レス(これも公式コメントではありませんが)

「当時の親会社である日商岩井の関係会社に同じ略し方の株式会社日商岩井フーズ(略称 株式会社N.I.F)というのがあったからまぎらわしいということで変更したと聞いています」

富士通社員さんからの情報(さわけんさん)

(中略)化猫さんが書いておられるように、まず親会社としての富士電機があり、これは古河+ジーメンスのフジで漢字は日本一の富士山からとったということです。実際は「フとジで富士になってゴロが良い」というような感じだったと思いますが‥‥。そして部を会社として独立させた富士通信機器をみな略して富士通と呼んでおり、67年にその愛称をそのまま正式な社名として採用したというわけですね。私が社名の由来を説明するときは簡単に「富士通のフは古河のフ。ジはシーメンスをドイツ語読みしてジーメンスのジ。通は元は通信会社だったから」と言ってます。